本記事は慢性B型肝炎の私が病気を受容できるまでの軌跡を語ります。結論からいうと、「受容できるまで1年半」かかりました。
目次
やった仕事休める!宣告を受けた22歳の春

私が慢性B型肝炎の診断名が宣告されたのは、今も忘れない22歳の春でした。専門学校を一浪して卒業・国家資格に合格して病院で医療従事者として働き始めた直後のことです。
病院長と師長いわく、「肝臓の数値が高いから両親に持病がないか聞いてきて欲しい」とだけ言われ、病気ならハッキリこの場で言って欲しいと思ったのを今でも覚えています。
翌日病院長に伝えると「キャリアでなく、慢性肝炎状態になっている。肝臓の名医のいる病院へ紹介状を書く。受診結果が出るまでは自宅謹慎」と言われました。
こんな風に軽く考えていたのが宣告された当初の状況でした。
初めての就職先をクビになる

大きな病院を受診すると「肝臓の治療をしましょう。2週間の入院と半年間の治療が必要になる。体力を削がれる仕事のため今の仕事は続けるのは困難だろう」と言われました。
現実味を帯びないまま、そのことを就職先の病院長に伝えると試用期間でクビにすると言われました。
毎日が苦痛!宣告から2ヶ月で肝炎治療を開始する

慢性B型肝炎治療のインターフェロン治療は想像を絶する辛さでした。週3回の注射をうつたびに38度ー40度の高熱が出て、インフルエンザのような悪寒と関節痛と倦怠感が全身を襲います。そして毎日負の感情に悩まされていました。
差別の目!私は健常者じゃないんだ・・・

インターフェロン治療の後半はロキソニンで熱を37度まで下げ、短時間の仕事をしたり、アルバイト代で外出したりしていました。そこでB型肝炎であることの差別を体感しました。
病気のことを勝手に言いふらすおばさん。それを根掘り葉掘り聞こうとする噂好きの人。わかってるよ。それをまた別の人に言いふらそうって言うんでしょ。
肝炎の人は医師の診断書がないと脱毛もできないんだって。血液と体液感染だから、レーザー照射じゃ感染しないと思うけど…。
23歳の同年代の女子が普通にできることが同じようにできない。そんな日々が苦しかったです。
アルバイトで元気を取り戻していく

半年のインターフェロン治療が終了し、少しずつ体力も体調も元通りになり、カラオケ店員として働き始めました。朝・昼・夜・深夜など様々な時間帯で思いっきり働くことができ、同年代と同じように動けることが自信に繋がっていきました。
そしてB型肝炎の宣告から約2年後の春。私は2年前とは別の病院で医療従事者としての再スタートを切ることになりました。
病気になりたては誰もが後ろ向きになります
B型肝炎を宣告されて約1年半。病気であることをようやく受容できました。宣告された直後は後ろ向きで、前をすぐに向ける人は稀だと思います。でも徐々に受け入れることができますので、この記事を読んでくださっているあなたも、ゆっくり焦らずに進んでいってくださいね。